完全にわたくしごとなんですが、オーナーのたけさんは、被爆二世なんですね。
戦後80年の本日も仕事をしていますが、ここ1~2週間くらい心が落ち着きません。
13日の日に、死んだ父の遺品を整理していましたら、戸籍謄本が出てきて、
父の妹(当時13歳)が、ヒロシマで被爆し13日正午前後に死亡したという記述を見つけました。
もちろん父から妹のことを(私にとって叔母さん)話には聞いていました。
あ、今日だ!80年前の今日亡くなったんだ。と思ったのですが、
小さな仏壇に念ずるしか無い自分の無力さに、少し情けないような気持ちになりました。
父の妹が、ヒロシマのどこの中学に通っていて、どういう経緯で建物疎開という作業にかり出され、
被爆して1週間を、どのように苦しんで亡くなったのか、どこに墓があるのか。もう誰も知る人はいません。
父は相当ショックだったのでしょうか。90歳で死ぬまでほとんど戦争のことを語りませんでした。
今も13歳のままの女の子は、私を探してくれと言っているような気がしてなりません。
被爆二世の私がこんな調子だから、世の中の人が戦争に関心がないのも無理はないでしょうね。
何かしなければと思いながら、何もできないでいます。